かって江戸時代には多くの旅人が歩いた中山道。木曽川に沿って曲がりくねって伸びる道は木曽路と呼ばれ、幾重もの山や峠を越える険しい街道として知られていました。その中心部に木曽福島はあります。
福島宿は日本四大関所の一つが設けられ規模の大きい宿場として発展した町です。
今では木曽路の豊かな自然と共に発展した宿場町の面影や伝統文化に触れながら散策を楽しめます。
福島宿は戦国時代には領主木曽氏の城下町として、江戸時代には木曽代官山村氏の陣屋町として栄えました。
宿場であった上町・下町は昭和2年の大火で焼失し、現在では古い建物は残されていませんが、地形や道路から往時をしのぶことができます。
大火から逃れた上之段地区は江戸時代からの水場と共に出梁造り・袖うだつ・千本格子などの建物が見られる古い町並みが残っています。
戦国時代に栄えた城下町らしく、敵の侵入を阻むため通りの裏に入る小径が何本も作られ、急な坂道や道を曲げたりした枡形になっています。夜になると行燈に火を灯しライトアップするため幻想的で夜の散策もおすすめです。
日本四大関所の一つとして数えられ「入り鉄砲、出女」を厳しく取り締まった福島関所。
福島宿の北端、木曽川の断崖に設けられた福島関所は、中山道のほぼ中央に位置し、江戸時代の創設以来約270年間にわたって中山道の要所でした。東西45m、南北30mの関所は、1869年(明治2)の関所廃止後に取り壊されましたが、1975年(昭和50)の発掘調査を基に東西の門も復元され、史跡公園として整備されています。
四大関所の一つ福島関所跡の隣接地に、関所建物を模した資料館が立っています。下番所、上番所、勝手、内部の造りも復元され、当時がしのばれます。館内では手形や判鑑など通行に関する貴重な史料や、関所常備の武具類などが展示されています。所要15分。
木曽氏、山村氏代々の菩提寺であり、木曽三大名刹。1434年(永享6)に、木曽家12代信道が、先祖である木曽義仲のために建てた寺。現代作庭家・重森三玲による枯山水の「看雲庭」は、雲海の美をテーマにした庭園で、東洋一の広さを誇ります。 また、境内左手には4つの庭園と、江戸時代の漆器などが展示された宝物殿があり、山村氏の墨跡、江戸時代の漆器など秘蔵の品々を公開しています。 1184年(寿永3)、源義経らの軍勢に敗れ31歳でこの世を去った木曽義仲の墓が、興禅寺境内の北東に位置します。この墓には死の直前、義仲が巴御前に託した遺髪が納められています。
詳細はこちら Google mapで確認代々の木曽代官であり、また福島関所の関守を務めた山村氏の屋敷跡。山村家伝来の下方が展示され12代山村良棋氏の書画、木曽駒ヶ岳を借景に置いた泉水式の庭園も見事です。 下屋敷の一部だった城陽邸は1723年(享保8)に再建された建物で、書院造の座敷を中心とした数室からなります。その一室には山村家の守り神、木やりを唄うキツネ・お末社様とよばれ崇拝されたキツネのミイラが祭られています。山村家家臣の漢学者・石作駒石の書斎翠山楼も敷地内にあります。
詳細はこちら Google mapで確認文豪・島崎藤村の姉の嫁ぎ先で、小説「家」のモデルとなった旧家。1927年(昭和2)の大火の翌年に再建された土蔵は、館内では藤村の手紙や遺品、小説に出てくる品々など藤村関係の資料館として公開されています。所要10分。
詳細はこちら Google mapで確認城山史跡の森の入口付近にある資料館。「中世の木曽文化」「江戸時代の交通」「町人の生活」「農民の生活」「八沢の漆器」「木曽馬」の6部門の資料を展示しています。資料館見学後は城山史跡の森ハイキングや、興禅寺の見学などをお楽しみください。
詳細はこちら Google mapで確認土蔵を改築した小さな郷土館には、地元考古資料が数多く展示されています。館内は、1階が土器や剥製などの調査研究物の展示、2階は大正から昭和にかけて活躍した彫刻家、石井鶴三の作品や書などが並ぶ美術室になっています。そのほか島崎藤村の初版本41冊も収蔵。所要10分。
詳細はこちら Google mapで確認古い蔵を改造し、クラフトマンの工芸品を展示販売する他、木曽の銘菓や和菓子なども揃えられています。
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